豊臣秀頼、淀殿ら自刃の碑

 慶長20年(1615)5月7日、大阪夏の陣の最終決戦が大阪城南方の茶臼山・岡山
付近で行われた。
豊臣方の主兵力がこの戦いで壊滅。勝負はほぼ決した。
翌日、淀殿と、豊臣秀頼をはじめとする主従約30名が自刃した。
その場所は、大阪城内の山里曲輪の一角にあった矢倉の中らしい。
現在の山里丸には、矢倉はなく、桜や、ハゼの木が生い茂り、その中にひっそりと自刃の碑が立っている。
今日はちょうど命日にあたり、花をかざってあった。
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土蔵 康司

代表取締役トクラ商事株式会社
大阪、京橋の婦人服店を経営しています。2階で防護服のネット通販サイト防護服.COMも運営しています。  婦人服と防護服という意外な組み合わせで、新聞、テレビなどから取材が

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「豊臣秀頼、淀殿ら自刃の碑」への2件のフィードバック

  1. はじめまして。
     文中の“淀君”と云う言葉の~君と云うのは、遊女を指す言葉遣いで(例江口の君)、徳川方が大坂方を揶揄する為によく遣われた様です。
     正しくは、“淀殿”または、“淀の方”とすべきです。

  2. はじめまして、榎並の住人さん
    そうだったんですか。まったく知りませんでした。
    君は人に対する敬称のように思っていました。
    さっそく淀殿に訂正させていただきました。

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